こんにちは。春川 労です。
今回は、精神障害当事者の私が、自分の生きづらさを言語化してみたことについての記事になります。
私自身、色々と、生きづらさを感じています。
こんなことに生きづらさを感じています。
- 20代の頃、病気の治療に自分のリソースを割いてしまい、尖った経験やスキルが身についていない。
- 精神障害を「個人モデル」(障害は個人の中に欠陥があるという考え方⇔「社会モデル」)で捉える風潮が依然として強いように感じる。
- 就職の準備をしている段階の人が、現在形の幸せを感じるのが難しいのではないかという仮説。
それぞれ分かりやすく言語化していきます。
20代の頃、病気の治療に自分のリソースを割いてしまい、尖った経験やスキルが身についていない。
メンタル疾患を治療することはもちろん必要だし大切ですが、仕事のスキルや専門知識、資格取得など、プラスを追求するものにリソースを割くべきだと思います。
治療とか療養というのは、マイナスをゼロにする努力です。それはもちろん必要なのですが、それだけ頑張っても、ゼロにしかなりません。
正直私は20代の頃の自分の生活スタイルに後悔をしています。
この後悔を「エンパワブログ」読者の役に立てられたらと思い、今記事を書いています。
精神障害を「個人モデル」(障害は個人の中に欠陥があるという考え方⇔「社会モデル」)で捉える風潮が依然として強いように感じる。
精神障害に限らず、障害には、それの捉え方として、いくつかのモデルがあります。
その中に、「個人モデル」と「社会モデル」というものがあります。「個人モデル」は障害は障害者個人の中にあるという捉え方で、「社会モデル」は障害は社会の中にあるという捉え方です。
「個人モデル」と「社会モデル」のバランスがとれた捉え方が望ましいと言われています。
精神障害でいうと、満員電車に乗れない当事者がいた場合、”満員電車”が障害であるという捉え方が、「社会モデル」です。
私は、高校を卒業してから10年以上、医療や福祉のサービスを受けているですが、多くの支援者の方と関わっていきました。
「個人モデル」に偏った考え方や発言をする支援者の方が多く見受けられ、これは違和感を今も感じています。
他者や社会を変えるのは簡単ではないですが、
- 情報発信をする。
- 自己主張をする。
- 精神障害当事者会に参加する。
などのことは、できるのではないでしょうか?
言わない、書かない、発信しないは、正直、望ましくないと思っています。
おかしい、不満に思ったことを、言葉にすることで、他者に伝わります。
就職の準備をしている段階の人が、現在形の幸せを感じるのが難しいのではないかという仮説。
私は、デイケアや就労移行支援を利用した経験があります。
一言で言ってしまえば、これらは、就労などの次のステップへの準備をする場所です。
その、準備というのは、必要です。デイケアや就労移行支援は、施設による差はあれど、有用な場所です。
ですが、準備、をしている最中に、現在形の幸せがお預けになっている方が多いのではと気付き、ここで勇気を持って言語化してみました。
誤解・炎上を恐れずに言って、就労・就職している状態が、だいたい一人前の社会人である、としたば場合、デイケアや就労移行支援を利用している最中の利用者の方というのは、一人前の社会人になる手前の状態というというのが私の理解です。
準備をしている期間、給料がもらえたり、趣味に没頭したり、色んなところに出かけて友達を作ったりするという将来の幸せのために、今、幸せを我慢してしまいがちなのではと、違和感を感じているのです。
私は、目先の幸せを犠牲にして努力して、将来大きな幸せを獲得する、という考え方が好きではなく、どちらかと言うと、今が幸せだから、将来のためにも努力できる、という考え方のほうが好きです。
デイケアや就労移行支援での将来への準備というのは、私の経験から言いますが、それら自体は必要だし重要なのですが、それら自体が、幸せの根拠になるかと言うと、言い切れないと思います。
将来の自立のための訓練や準備をしている最中に、現在形の幸せを感じにくいことの具体的な解決策は、正直まだわからないのですが、強いて言えば、自己成長の記録をネットで発信することでしょうか。ただ、この未来に向かって努力している時、現在が幸せじゃない、ということを言語化したブログやYouTube動画が見当たらなかったため、私が言語化しました。
今回は、精神障害当事者の私が、自分の生きづらさを言語化してみたことについての記事でした。
正直、具体的な解決策が乏しい記事ですが、問題提起だけでも、無意義ではないと思います。
以後、記事を投稿していきますので、どうぞよろしくお願いします。
春川 労


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